秋葉原の張り紙の件で話題になった例の元教授の「生涯の転機」

 例の教授は早稲田大学の学生時代にKelsenianになったと公言している。このことについてメディアに何かしらの批評が出ることになり、やがてKelsenianバッシングが始まると私は思っていた。どうやらメディアは例の教授の公言に関心を持たなかったため、批評しようとしないようにみえる。

 例の教授のように考えて行動するKelsenianが今後現れたら、人々はKelsenianを自称する人とどのように接するのだろう。あなたは普通の人とは違う考え方をする人ですね、といって見て見ぬふりをし、やり過ごすのだろうか。それともKelsenianを議論で全面的に屈服させるように正面から対決するのだろうか。私としては後者の展開を見てみたいが、そういう課題が現実の問題として突きつけられれば前者の立場をとる人ばかりが現れる気がする。