絶版だった斎藤隆夫の自伝『回顧七十年』が復刊される

 中公文庫のウェブサイトによると、本書は今月の25日に出版されるらしい。

回顧七十年

回顧七十年

 長らく絶版になっていた本書が復刊される背景には何があるのだろう?斎藤隆夫の生涯に関心を抱く人が増えたので、出版社が読者の要望に応えて復刊するのか。私にはこのようには考えられない。特定秘密保護法集団的自衛権をめぐる議論から分かるように、日本の議会政治に危機が現に迫っているのであって、そうした現状を認識し打開策を有権者が考えるなら、斎藤隆夫の自伝を読むのが適切である。中央公論新社の中の人はこうした意図から本書を復刊するのではないか、と私は思う。
 どのような経緯であれ本書が復刊されるのは、政治家に求めるものを有権者が考える機会が増えることにつながると思われるから、喜ばしいことだ。一般に反軍演説と称される「支那事変処理を中心とした質問演説」を例にとって考えてみよう。演説の終盤で遠回しに言及されているように、明治憲法下の議会は予算を介して軍部を実質的に統制しうるのだから、私見では、斎藤隆夫の真の攻撃相手は軍部ではなく政治家である。そして、斎藤隆夫が演説で最も伝えたかったのは、軍事力の縮減を通じた平和の希求という類いの話ではなく、政治家は議会を通して国民に責任を負うことを肝に銘じ、現実主義の観点から活動すべきということだと私は考えてきた。現実主義についてはみなさん!現実主義って用語、誤解してませんか? - 日はまた昇るを読んで欲しい。憲政(goverment)のありようが問われたことこそ重要だという私の見解とは異なり、軍部に反抗するような言論が抑圧されたという事実がまず強調されてしかるべきと考えることもありうる。この見解からは、政治家が発言しても誰からも不利益を被らないことが要請され、政治家には現実主義の立場や考え方が必ずしも求められることにはなるまい。だとすると、政治家に求められるのは自由闊達に議論をすすめることだけであろうか。このように斎藤隆夫の生涯からいかなる教訓を得ようとするのも自由である。自らの思考のたたき台として使えるだろう斎藤隆夫の自伝が手に取りやすくなるのは好ましい。
 なお、本書の解説者である伊藤隆は、5年前に刊行された『斎藤隆夫日記』の編者であるから、最新の研究成果を用いて『回顧七十年』を読み解いてくれるだろう。
斎藤隆夫日記(下)

斎藤隆夫日記(下)