「法超越的な争点」に関する卑見

 宮沢俊義「大津事件の法哲学的意味」読書ノート - 伊勢大輔の隔靴掻痒についてコメントします.
 まず「法超越的な争点」全般の性質についてです.
 尾高先生は『法の窮極に在るもの(新版)』「第三章 革命権と国家緊急権」や「国家緊急権の問題」*1大津事件に言及していませんが,柳瀬先生は,大津事件当時の政府が国家緊急権の思想に立っていたと明言しています*2. 付言いたしますと,1977年のダッカ日航機ハイジャック事件 - Wikipediaでの政府の行為も,国家緊急権の一事例だと柳瀬先生は説明しています*3.
 それと,宮澤先生のように「法超越的な争点」*4と呼ぶよりも,<自然法を認めるかをめぐる争点>と呼ぶ方がわかりやすいでしょう*5.
 このように考えると「法超越的な争点」なるものは,国家緊急権の問題を経由して,自然法をめぐる問題へと収斂しそうです.詳しくは柳瀬先生の講演録をご覧下さい.


 次に,「皇室罪説が法解釈論としては必ずしも正当でない」と宮澤先生は主張していますが*6,国際法を考慮して刑法第116条で裁くべきとの主張が提示されることもあります.
 田岡先生によると、ロシア皇太子の身を守るよう,刑罰法規の整備に関わる国際的な約束が、大津事件発生前に日露政府間でなされていました*7.これは国際不法行為責任が絡む問題で,政府だけが責任を負う問題とはいえません*8.こういうわけで、「...約束によれば、わが国は津田三蔵の犯行を刑法第百十六条によって処分しなければならないことになり、従ってその刑罰は死刑より外にはならないこと」になります*9.


 前述した国家緊急権に関わる余談ですが,人々は日本憲法の枠内で打開策を見いだそうと煩悶していました.「緊急勅令発布の企ては、...穂積陳重氏が、帝国大学法科教授全員の支持を得て、その実現に努力されたものである」*10というのはその例ですね.田岡先生は,こうした議論の水準が低いと断言しえないことに,読者の注意を促しています.当時の人々は,まさに「法超越的な争点」を理解したうえで,落としどころを探っていたのです。もっとも,田岡先生の見解のような国際的な認識に最後まで至らなかったのですが...


 「法超越的な争点」に関する卑見が伊勢さんのご参考になれば幸いです.