blechmusikの日記

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新聞の投稿欄

news / 津川雅彦「これでマスコミが作った民主党バブルは弾けるなあ」では、以下のエントリーが話題となっています。

娘さんが身の代金目的で誘拐された時の話のようです。

やはり娘が誘拐された時に、東京新聞が芸能人の子供が誘拐されるのは、芸能人が悪い。子供が産まれた事を、自分の宣伝に使うげすな根性故で、自業自得だと書いた。
編集長に芸能人に問題はあっても、子供に罪はない。ジャーナリストたるもの、誘拐犯を擁護するような記事は言語道断。
芸能人に嫉妬する東京新聞の読者が多いのだろうが、そんな大衆に媚びて売らんかなの記事は編集長の資格なしと激論を闘わしたが、私はジャーナリストとしての信念を貫いたとうそぶいた。

1974年8月15日から一週間分の新聞に問題の記事と投書がありそうです。芸能人のニュースと報道の自由の関係といえば、ポズナーにより提示された議論が真っ先に思い浮かびます。

The Economics of Justice

The Economics of Justice


ポズナーのこの著作が公表される前に、東京新聞の編集長がポズナーと同様の議論をしていたのであれば非常に興味深いでしょう。津川さんの書き方から察すると、そんなことはなさそうですけれど。

なんと翌日には東京新聞の読者欄が、拡大され、何十もの投書で全面が埋められ、
その99%が津川と芸能人の質がわるい。東京新聞はよくぞ言った。誘拐されたのは、自業自得だ。内容で占められた。
見え見えのやらせ読者欄の捏造だ。

投稿欄の捏造ってあり得ることなのでしょうか。

このエントリーは、自分の投稿が編集により書き換えられることに我慢がならなくなったというものです。
このエントリーに対し、次のエントリーが公開されました。

素人の投稿なのだから校正が必要なのはいうまでもないことではないか、と自身の経験を交えながら説明しています。
これらのエントリーを踏まえて津川さんのエントリーを読み直して、以下のことを考えました。今のようにインターネットがない時代ならば、不満をぶつけるツールとして新聞の投稿欄を利用することしかできなかったのではないか。そうならばたくさんの投稿が送られてきていただろうから、新聞社がわざわざ読者の投稿を捏造する必要がないのではないだろうか。たくさん送られてくるのであれば、都合のいい見解を選び出すことなんて簡単でしょうし。