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blechmusikの日記

キー・カスタマイズ・ソフトウェア "DvorakJ" の覚え書きをはじめとして様々なことを書いています。

2017年になりました(その1)

雑記

今年もよろしくお願いします

 サイトやソフトウェアの更新がしばらく滞っているので、なんとかしたいものです……

 ところで、今回の年末年始には、いろいろなことをぼんやりと考えていた。そこで、昨年の体験を振り返ることで、思い浮かんだことを整理してみたい。

想いの伝わり方

 もう十年近く継続していることになるのだろうか。今から30年以上前に刊行されたあるエッセイ集(邦語訳)を繰り返し読んでいる。自身の能力の低さを晒すことであるから、誠にお恥ずかしいことなのだが、外国語には不慣れなため、原著ではなくその訳書を耽読してきた。
 エッセイ集の原著者は一人であるものの、個々のエッセイは専攻分野が異なる数名の学者の手によって訳出されていた。私がとくに好きなエッセイは、出版当時20代後半で旧帝国大学助教授となっていた人が、丁寧に分かりやすく訳していた。その学者は不幸にも晩年に精神を病んでしまい、定年前に退職している。余談めいたことになるが……退職前(当時50代)の約5年間の論文にはいわば優しさと狂気が共存していた。自分の思考過程をしぶとく曝け出しながら、通説的な公理を打ち立てた学者の考え方(公理の導き出し方)を執拗に攻撃することで、後覚にはあるべき思考過程を諭し、そして一流の学者相手には「あなた方は学術的に有意義なことを本当に研究してきたのですか?」「緻密に考えることはできないのですか?」「先覚者の研究の意義を理解できずに何をやってきたのですか?」といったことを問うていた。論文の体裁をとってはいるが、その実態は痛烈な酷評といっても過言ではあるまい。
 この人の近況を耳にしたのは、先月のことだった。どうやら在野の研究者として活動しているわけではないが、頼まれれば研究成果を公表できる状態を維持していたのようだ。そこで、私が好きなエッセイの改訳がその人自身に委ねられる予定だったが、改訳前に行われたとある試訳の出来が低劣だったために、、改訳の依頼は見送られることになったらしい。
 これを聞いて私が思ったのは、その人が身を粉にして積み上げた学術的成果は受け継がれることなく消え去るということだ。晩年の研究能力の低下が学界で深刻視されているのならば、研究成果が新たに発表されることはもうないだろうし、またその人の弟子筋にあたる学者は見当たらないのだから、師匠筋を持ち上げる動きも生じない。そして、上述の「一流の学者」も他の学者も酷評を無視し続けているので、昔の論文を探し出して読む好事家でない限り、その人の提起した問題を知る人は年々少なくなる。
 こう思っていたところ、近況を私にこっそりと伝えてくれた人物Xによると、学派の後継者と呼ぶべき人は2人いるらしい。その人の直接の教え子ではないものの、かなり近くにいて熱心に研究していた人物Yと、その人物Yに可愛がられた人物Xだ。また、人物Xの下に後継者と呼ぶべき人物がすでに2名いるらしい。
 どの人物もその学派の継承者であることを公言していないので(もしも公言してしまうと陰に陽に何かしらの圧力を受けてしまうことになる、と私は邪推している)、その分野の事情に明るくない私は知らなかったのだが、人物Xとのやりとりを通じ、内に秘める熱い想いは確実に受け継がれ、そして高められていることがよく分かった。

想いの伝え方――相手方の意図の読み解き方と相手方への意図の伝え方

 2016年には、香西秀信氏(1958-2013)の『議論の技を学ぶ論法集』が『議論入門: 負けないための5つの技術』と改題され、ちくま学芸文庫から刊行された。


議論の技を学ぶ論法集 (オピニオン叢書)

議論の技を学ぶ論法集 (オピニオン叢書)

議論入門: 負けないための5つの技術 (ちくま学芸文庫)

議論入門: 負けないための5つの技術 (ちくま学芸文庫)


 レトリックなるものには以前から興味を抱いており、新装前の『議論の技を学ぶ論法集』にカスタマーレビューを投稿しているシゲトテレスさん(中の人は某ロースクール教授)が言及した本にはなるべく目を通してきた。この長らく絶版になってきた本書も読んだことがあったのだが、死後に再刊されるほど多くの読者に愛されてきた本であることから、これを機に購入した。

 本書は、香西氏が整理する議論の型(パターン)を具体例をもとに体系的に習得できる良書だ。通読後に10分も費やせば目次の各項目を丸暗記できるだろう。ぜひ試してみてほしい。目次の各項目を諳んじ、その内容をかいつまんで説明できるころには、普段接する新聞や雑誌から書籍までその読み方が深みのあるものになっていると思う*1

 ただ、残念なことに、本書からは香西氏が「書くための読書術」なるものを真剣に捉えてきたことを読み取りがたい。そこでおすすめしたい香西氏の文章がある。読書だけで済ませてはならない、苦悩を抱えることを覚悟しながら情報発信をせよ、と香西氏は『教師のための読書の技術――思考力を増やす読み方』の序章「『書く人』は『読む人』よりも偉い――国語教師はなぜ『書く人』になろうとしないのか」で力強く訴えている*2。『教師のための読書の技術――思考力を増やす読み方』は国語教育関係者向けの雑誌連載をもとに本にしたものであり、一般読者向けのものではないものの、序章部分(pp.9-22)を読む人は香西氏の読書術に対する思いを受け取ることができる。

 また、本書を読み終えた人は、肝心の伝統的なレトリックなるものの全体像を手短に知りたいと思うだろう。香西氏の本そこでおすすめしたいのが、『レトリック事典』の第6部「伝統的レトリックの体系」(pp.713-732) だ。これはとても簡潔にまとめられている図と説明からなるものなので、20~30分もあればその全体像を把握できるに違いない。レトリック関連の書籍を読む際に何度も見るとよい。

レトリック事典

レトリック事典

 さらに補足をすると、今月上梓される読書猿さんの本で、レトリックの歴史的変遷をふまえた現代的な思考術が本格的に解説されるようだ。楽しみである。


続きは 2017年になりました(その2) - blechmusikの日記 です。

*1:私の場合、ワインバーグの『科学の発見』を読んでいるときに、いかなるレトリックの力を借りて科学的な思考方法が確立されてきたかに注意を向けることができた。

*2:ちなみに、私が関口存男の「くそ勉強に就て」というエッセイを知り、そのエッセイが掲載されている評伝を通読したのは、香西氏のこの序章での紹介(p.18)が魅力的だったからだ。