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blechmusikの日記

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矢内原忠雄「管理下の日本――終戦後満三年の随想」第4部

読書

 第3部は矢内原忠雄「管理下の日本――終戦後満三年の随想」 第3部 - blechmusikの日記で取り扱った。

 今回取り上げるのは最後の第4部である。

4

[4-1] バビロン捕囚当時のユダヤ国と今日の日本とを、すべての点にわたつて同一視することはもちろん出来ない。時代は二千五百年を隔てて居り、世界も全く異なつて居る。個々の点について考へて見ても、彼にあつてはユダヤ国民の多数が国外に移され、国土は人口欠乏の故に荒廃したに対し、此にありては多数の同胞が国外から引揚げて来て、国土は人口過剰に悩むのである。彼にありては被征服者たるユダヤ人がエホバを神とする宗教を有ち、征服者たるバビロン人が「異邦人」であつたに対し、此にありては日本を管理する国が基督教国であつて、日本人が「異邦人」である。このやうな重大な差異があるけれども、それにも拘らずわれらは日本の現在置かれて居る位置に関し、バビロン捕囚のユダヤから若干の教訓を暗示せられるのである。
[4-2] 第一に、日本の敗戦と敗戦後の運命が決して偶然的出来事でなく、正当なる歴史の審判であるとの認識である。宗教的表現を用ひれば、それは神の意志より出でた審判であるとの信仰である。この認識と信仰を以て今日の環境に処する時、始めてわれらは時局に対し落着いた、正しき自主的態度を取ることが出来る。連合軍の日本管理は容易に終止しないであらう。それは日本の民主主義化が成就するまで継続するであらう。その為に何年若しくは何十年を要するかを知らないが、決して短い期間では今日の占領状態は終らないであらう。その事を理解して忍耐と服従を以て神の意思に順ふところに、日本復興のいとぐちが得られる。之に反し、神の意思に対する従順を欠く軽挙妄動は、日本の復興を妨げ、ますます自由を喪失せしむる以外の何者でもないであらう。
[4-3] 第二に、日本の現状は神の審判ではあるが、併しその目的は滅亡にあるのではなく、却つて民主主義国としての新生・復興にある。すなはち神の恩恵に出づるのである。それ故に我らは神様の恩恵を空しくせず、この占領・管理の期間に於いて、学ぶべきものを学び、遂ぐべき脱皮を成しとげねばならない。従来の閉鎖的な民族主義より進んで、世界的見地・人類的思想をわが物と為し、思想的・精神的に世界的飛躍が成しとげられねばならない。民主主義をば単に外形的なる法制及び教育の改革としてだけではなく、国民各自の信条として、国民精神として学びとらなければならないのである。
[4-4] 日本の民主主義化が成しとげられるためには、物質的には日本の経済が再建せられ、国民の経済生活に繁栄と安定がもたらされなければならない。デモクラシーは各人の経済生活が繁栄と安定をもつ社会のイデオロギーであるから、日本が民主主義化せられる為めには、どうしても国民の経済的窮乏と不安を克服しなければならない。日本が米国と同一水準の経済的繁栄と生活程度を実現し得ることはほとんど不可能であるが、それにしても米国の管理と日本国民自身の努力が相待つて日本の経済に繁栄と安定をもたらすのでなければ、デモクラシーは日本の国土に根を張るを得ず、他のイデオロギーの繁茂によって蔽塞されるであらう。
[4-5] 日本の民主主義化には、右に述べた物質的条件の外に、精神的な条件が必要である。それは個性の自覚と、それに基く個人の責任観念の要請である。このような精神的条件は社会の経済的条件並に法制の改革と互に原因結果を為して成熟するものであるが、特にここに一言したいことは、法律制度の改変や教育方法の変更だけで民主主義精神が個人の心情に養はれると考えることは非常な速断であるとの事である。若しも日本人の心情に民主主義精神を根ざさしめるのでなければ、表面的外形的の同化は却つて卑屈な追従に外ならず、それだけ真の民主主義化を妨げるであらう。
[4-6] 然らば日本人の心情に民主主義精神の根柢を為す個性の自覚と責任観念を植ゑつけるものは何か。それは西欧諸国民に民主主義精神を把握せしめたものと同一の精神的革命でなければならない。すなはち文芸復興と宗教改革之である。具体的に言へば、詭弁派と懐疑論を克服したギリシャ哲学と、カトリシズムを克服した基督教である。日本が現在の被占領・被管理下の期間に於いて、是非とも学び取らねばならぬ世界的思想はこの両者に外ならないのである。
[4-7] 最後に、日本がバビロン捕囚から受ける教訓の一つとして、日本民族としての自信と気品を挙げねばならない。連合軍による管理は相当期間長く続くであらうが、併し永続するのではない。その間に日本の男女が日本復興の気概と希望を喪失し、外形的なる生活の米国化を以て人間解放と誤解し、操を屈して媚を売るならば、日本は真に奴隷の国となり果てるであらう。不純なる政治と不潔なる文学は決して民主主義の必然的附随物でもなく、況んや人間自由の表徴でもない。浅薄なる懐疑論と野卑なる肉欲文学の横行する社会に、決して真のデモクラシーは成熟しないのである。(八月九日)

 民主主義化の達成という観点から矢内原の主張を整理しよう。日本人は民主主義化の成就に必須の条件を満たさねばならず、また民主主義化とは関わりがない要素に批判的に接しなければならない。
 前者について、日本人は連合軍に対して従順にならない限り管理が厳しくなり自由をますます失うことになるから、民主主義化が成就するまで連合軍への忍耐と服従を欠かさしてはならず、また「世界的見地・人類的思想」を習得して自らを高めなければならない。矢内原はこうしたことを「バビロン捕囚のユダヤから若干の教訓」を得て、神の意志は日本を民主主義国として新生・復興させることにあって、敗戦と敗戦後の変革は神による正当なる歴史の審判だという。そして民主主義化が達成されるためには物質的条件と精神的条件が充足される必要がある。
 後者について民主主義に必然的に付随するとはいえないものを民主主義推進の名の下に摂取することは不適切である。
 このように矢内原は占領統治下のもとで民主主義化を成就するよう提言したのである。


 占領下であることを認識し民主主義の成就に邁進せよという矢内原の主張は、現代の観点からは時宜に適ったものといえるだろう。矢内原がこの小論を公表した1948年といえば、日本国内の不穏な動向を素早く把握し是正するために、アメリカの民間検閲局 (CCD)が日本で活動している最中であった。今では通信(電話や郵便など)の内容が幅広く傍受されていたことのみならず、日本人検閲官の名簿も(ローマ字表記に限られており漢字かな表記ではないから不完全なのではあるが)明らかにされている。

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

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 大規模な検閲システムが構築されていた占領下での「神の意思に対する従順を欠く軽挙妄動は、日本の復興を妨げ、ますます自由を喪失せしむる以外の何者でもない」のはいうまでもあるまい。


 このように矢内原は敗戦後日本が占領下にあることを忘れずに活動せよと提言し、そして林は矢内原のこうした問題提起を真剣に受け止めたのだった。
 林以外の論者はといえば、この矢内原の問題提起を受け止めて論じようとしなかった。矢内原の小論が人々からほとんど注目されなかったと林はいうが、林が久野との対談で吐露したように*1、林の代表的著書『共産主義的人間』も同様の扱いを受けている。人々が意図的に論じようとしなかったのか、論じることができなかったのかはわからない。
 それではかつての林や矢内原の問題関心が日本の現状とどのように関わるのだろうか?これは現在の日本をどのように見るかによって答えが異なる問題である。敗戦後同様現在の日本も占領状態が実質的に終わっていないという人がいれば、他方で占領状態なるものは今ではまったく存在しないという人もいるだろう。占領なるものを何を基準として判断するかは人によって違うだろうが、いずれにせよ現在の日本に他者から規律されている状況を少しでも見いだす人なら、林や矢内原の問題関心に接することで得るものがありそうだ。
 なお、矢内原の小論を読み、矢内原は個人の責任を神と無関係には理解できないのではないかとの疑問を抱いた。神を措定することで個人の責任を自覚できると矢内原はいうが、神を措定しなくとも矢内原のいう個人の責任と同類のものをなんとかして確立できないのだろうか。私にはよく分からないことである。

*1:『思想のドラマトゥルギー