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blechmusikの日記

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矢内原忠雄「管理下の日本――終戦後満三年の随想」第2部

 第一部は矢内原忠雄「管理下の日本――終戦後満三年の随想」第1部 - blechmusikの日記で取り扱った。

 今回は第二部の内容を見てみよう。

2

[2-1] 植民政策の学者は植民地政策を分類して、従属主義、同化主義及び自主主義となすことが普通である。従属主義といふのは、植民地の利益を顧みず、之を本国の奴隷化する政策であり、同化主義といふのは、植民地の言語、法制、風習をすべて本国化し、行政上及び経済上本国の地域に合体することを目的とする政策であり、自主主義といふのは、植民地民族の特殊性を認め、その社会制度に対する干渉を少くし、本国と別個なる自主的地域として発達せしめる政策である。而して同化主義の典型として挙げられるものがフランスの植民地統治であり、自主主義の代表として挙げられるものがイギリスのそれである。
[2-2] フランスの同化主義的植民政策はフランス革命の理想主義に基いた。天賦人権・万人平等の民主主義思想を抽象的に普遍化し、ハイチやサン・ドミンゴのニグロもフランス本国人と同じ人間であるとの思想の下に、その法制と社会組織をフランス化し、之にフランス人同様の権力義務を与へた。またフランス本国議会への代表をも認めたのである。その結果これら植民地の健全なる発達を妨げ、多くの社会的弊害を生じたと批評せられる。蓋し経済的・文化的に発達段階と文明系統を異にする民族に対し、西欧近代民族としてのフランスが獲得したデモクラシーの制度をそのまま当てがつたことが、その意図に於いて理想主義的であつたに拘らず、その適用に於いて科学的妥当性を欠いたが故に外ならないのである。
[2-3] 自由主義植民地統治の典型といはれるイギリスは、フランスの理想主義的なるに対して実際的であり、殊に植民地統治が本国納税者に課する財政的負担の軽微なることを要求した。同化主義は植民地統治をば本国国民に取りて高価なるものたらしめる。之に反し、本国納税者の負担を軽からしめるためには、植民地の社会制度を強ひて本国の水準に引上げず、その在来の発達段階に適応した統治を行ふべきである。この事が、個性を尊重するイギリスの思想と合して、イギリス植民政策に自主主義の特徴を与へたのである。
[2-4] 併しながらイギリスの統治が植民地社会に影響を与へた限りに於いて、それはイギリス型のデモクラシーの移植であつたことは当然である。そこには貴族趣味と融合したる議会制度が実施され、それに基く責任内閣制の発達は自治領形態を取り、結局は本国よりの分離をも可能たらしめる。印度統治の歴史とその終局は、イギリスの植民地統治政策の特質を明瞭に現したものである。
[2-5] 日本も嘗ては植民地を統治する国であつた。日本の植民地統治の特徴は同化主義であつた。日本の植民政策学者の殆んどすべてが、同化主義の非科学的であり自主主義の合理的であることを指摘したにも拘らず、日本の政府は一貫して同化主義の政策を改めず、それは殆んど反省を許さざる信念化を示した。殊に満州事変以来はその政策に拍車がかけられ、「皇民化」の政策は極力推進せられたのである。
[2-6] 日本の植民地統治政策に於ける同化主義は、フランスの同化主義と思想的根拠を異にする。フランスの場合その根柢に横はつた思想は、天賦人権・万人平等の普遍的・人類的なるデモクラシーであつた。故にその政策の行き過ぎの弊害は、理解せざる自由、要求せられざる解放を、発達程度の低き植民地原住民に対し時期尚早に付与したことにあつた。之に反し日本の同化主義は皇室中心の民族主義であり、従つてその行き過ぎは絶対主義的権力により強制的統一、民族的自覚の抑圧となつたのである。私は日本の植民地統治がことごとく害悪であつたとは思はない。少くとも経済的開発と普通教育の普及は、植民地社会に永続的利益を与へたものと思う。新たなる情勢下に置かれた日本の旧植民地は、日本の統治を功罪を新たに検討し批判しつつあるであらう。ただ思想的同化政策の一項に至つては、旧植民地民族の何人もこれを想起して好感を持つ者はないであらう。遺憾ながら日本の同化主義の根柢には、それだけの価値ある人類的・普遍的思想がなかつたのである。
[2-7] 嘗て植民地統治国としての経験を積んだ日本国民は、今は他国の管理を受くるものとなり、被管理民族として全く新しき経験を重ねて居る。我らは米国の異民族統治政策の特徴を知るため、絶好の学問的機会を与へられているのである。
[2-8] 米国の植民地統治政策は比島に於いて実験せられた。それはフランスの同化主義とも異り、イギリスの自主主義とも異るところの、新しき特徴を有つ政策であつた。米国が新しき国民である如く、その植民地統治政策も新しき主義に立つた。その特徴は、徹底したる同化主義と徹底したる自由主義との結合であると言へる。
[2-9] 米国は比島の言語、法制、風習等を意識的に米国化した。すなはち比島人の米国化を自然の経過に放任することなく、最初よりの自覚したる政策として之を強力に推進したのである。更に、米国は比島統治の目標をば最初から比島の独立に置き、紆余曲折はあつたけれども、結局当初の宣言通りその独立を実現したのである。之は自然的発達の結果自治領若しくは分離の可能性を認めるといふイギリスの政策に比し、遙かに徹底した自主主義である。要するに米国の植民地統治政策の特徴は、米国型の独立国を創設するにあると言ふことが出来よう。
[2-10] 米国が日本を管理する政策にも、之に準じた特色が窺はれる。日本の法制・教育・思想等を米国化する政策は熱情的且つ組織的に行はれ、それは多分に理想主義的な同化主義の傾向をもつている。同時に米国は日本を永続的植民地と為す意思はなく、民主主義国として更正、独立せしめることを占領政策の明白な目的として居る。米国と日本は歴史と国情を異にし、社会の発達段階と国民の経済的・文化的生活水準を異にするから、もしも米国と同種類同程度の法制や教育を急速に移植しようとすれば、そこに若干の無理と不自然を生じ、社会的混乱と畸形的発達を来して、必ずしも所期の目的を達しないであらう。この点に十分なる注意が払はれ、理想主義的熱情に加ふるに思慮深き程よさを以てすれば、日本の米国化、換言すれば米国型の民主主義化は堅実に進展するであらう。日本の米国化がただ法律制度の表面的な変化に止るか、或ひは日本人の心情に根ざす民主主義的変貌たり得るか。東洋的・閉鎖的な日本人が世界に於て最も開放的な米国の制度と文化を、いかやうに、如何なる程度に吸収し同化し得るか。之は大なる世界史的実験である。嘗て朝鮮や台湾や満州に於いて我らが試みたことに類する社会的実験、すわはち異民族統治の民族的実験が、今や我ら自身を実験台上に置いて行はれて居るのである。
[2-11] 之が今日日本の置かれて居る世界史的位置である。然らば我ら自身はいかなる態度を以てこれに処すべきであるか。
[2-12] 第一に、我らが他国の管理を受くる現状は、我らの受くべき当然の報であり、歴史の正当なる審判であるとの認識が必要である。この認識が乏しき時、我らは我らの陥つて居る現状について不平と焦燥を抱き、それは管理の圧力をそれだけ重く且つ長からしめる結果を招く以外の何ものでもないであらう。
[2-13] 第二に、日本を管理する主要国が米国であること、並に日本は周辺の領土を失つたけれども、日本の本国そのものは分割せられることなく、不可分的一体として統治せられることは、日本に対する神の特別の恩恵であるとの認識。この認識は我らを励まして、我らに課せられる改革の要請をば我々自身の改革の努力として変質せしめる。
[2-14] 我らを管理する者に対する理解と協力は、かくの如き日本管理そのものの歴史的意味の認識に基かねばならない。この認識が我らの服従と協力をして虚偽たらしめず、真実なるものと為す唯一の根拠である。また我らの服従を卑屈たらしめず、我らの協力を阿諛迎合たらしめざる唯一の保障である。服従はしなければならない。それは歴史の正当なる審判であるから。併し卑屈であつてはならない。それは奴隷的精神であるから。協力はしなければならない。それは民主主義化の要請であるから。併し阿諛迎合はいけない。それはまさしく民主主義精神の反対物であるから。かくして日本国民の自主独立性の維持は、日本民族の民主主義化の要請と合致するのであつて、それは日本の置かれて居る現状の地位を正しく認識することに由つて可能となるのである。

 まず矢内原が解説している植民政策の違いを表で整理してみる([2-01]-[2-10])。

類型 典型的な宗主国 植民地政策の根底にあるもの 植民地政策の内容
従属主義      
自主主義 イギリス イギリス本国の財政負担軽減+個性を尊重するイギリス思想 イギリス型デモクラシーの移植
同化主義その1 フランス 天賦人権・万人平等の普遍的・人類的なるデモクラシーの普及 過度な自由を時期尚早に付与
同化主義その2 敗戦前の日本 皇室中心民族主義の普及 強制的統一による民族的自覚の抑圧
同化主義+自主主義 アメリカ 米国型独立国の創設 言語、法制、風習等の意識的な米国化

 かつて敗戦前の日本は同化主義の一類型を採用し、植民地政策を行っていた。敗戦後の日本は「同化主義+自主主義」型植民政策を採用するアメリカの管理下に置かれている。
 そのような状況でわたしたちは何をしなければならないだろうか。矢内原は管理者への応答と自身の心構えについてそれぞれ次のように説いた([2-12]-[2-13])。

  1. わたしたちは歴史の正当な審判により報いを受けなければならない。私達がそうした報いから目を背け、管理者に対して反発するようなことを万が一起こすならば、管理者は同化政策を長年にわたり強圧的に行うだろう。
  2. わたしたちはありがたいことに本国の領土を失なうことはなかった。よって、わたしたち自身の改善のためだと自覚して、同化政策の一環たる諸改革に取り組まなければならない。

 こういうわけで、わたしたちは日本の置かれている現状を考えて、日本の改革のために、管理者たるアメリカを理解し協力しなければならない。つまり、アメリカの同化政策に一定の理解を示し、協力する必要があるのだ([2-14])。


 矢内原の主張は分かりやすい。日本が管理されることは歴史の正当な審判に照らして当然のことであり、われわれはアメリカの管理下で自国の改革に邁進しなければならないのである。
 矢内原の議論の中で私が興味深いと思うのは、管理の圧力を緩和する条件として「歴史の正当なる審判であるとの認識」を理解していることだ。こうした認識を持たなければ、私たちは現状に不平と焦燥感を抱いてしまい、管理者に反発するかもしれない。そうした反発が生じると、管理者は反発の抑圧に躍起になり、結果として、わたしたちはより厳しい管理下に置かれるおそれがある。もしもわたしたちが「歴史の正当なる審判であるとの認識」を常日頃から抱いて行動すれば、現状への不満をそれほど持たなくなり、結果として管理者に反発することが抑制されるだろう。このように矢内原は管理者の視線を気にかけてそうした認識を持つよう諭し、管理する者と管理される者の関係に配慮する論点を読者に提示してくれた。
 敗戦後の日本で日本国民に対して「歴史の正当なる審判であるとの認識」を持つよう主張した人がどれほどいるかは私は知らない。かなり存在した気はするのだが……
 そうはいうものの、日本国民が管理下に置かれていることを縷々述べながら、管理のより一層の圧力を回避する方策として提言を行う者はほとんどいなかった。林による短評をふまえるならこう考えて間違いあるまい。
 矢内原の主張を読めば、林のいうOccupied Japan問題への取り組みは言論界全体になぜ広まらなかったのかという疑問を抱かざるを得ない。矢内原は植民地政策研究のエキスパートであったからこそこうした論評に関わることが可能だったのか。別の観点からいうと、植民政策の研究者にならない限りその問題を見据えること自体が難しいのだろうか。矢内原のこの小論をたたき台として議論をはじめることは可能だろうから、論者の姿勢そのものに何かしらの問題があったように思われる。

 第3部では、管理と抑圧を体験することで長期的には恩恵を獲得するという寓話が披露される。