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鈴子陽一『東日本大震災を生き抜く―岩手県釜石発被災者の日記』を読んだ

目次

  • 本書について
  • 補足説明
  • 特筆すべき点
  • おわりに

本書について

本書は、釜石市在住で友釣りを嗜む*1鈴子陽一氏の震災での体験を中心に、多くの写真を交えながら時系列でまとめたものである。鈴子氏は津波の被害を受けなかった自宅に住み続けていた。さらに、近隣の人々の好意や釣りのための道具類を用いることで、水の調達や明かりの維持には不自由しなかったとのことである(p.36)。

東日本大震災を生き抜く―岩手県釜石発被災者の日記

東日本大震災を生き抜く―岩手県釜石発被災者の日記

本書の構成はつぎのようになっている。発災当日は大渡町近辺を、翌日は釜石港の西側全体、3月26日までには平田町までの様子を取り上げている。4月の日記では鵜住居町と大槌町の様子を、5月の日記では、東京在住の子供や前妻家族との出会いを描いている。

本書で焦点が当てられているのは、主として釜石港から西側の地域だが、発災当日に限っていえば、鵜住居町もそうである。ただし、鵜住居町の被災状況に関する詳細な説明は省かれている。興味深いのは、発災当日に鵜住居町を襲った津波の写真が掲載されていることだ。鵜住居小学校と釜石東中学校の校舎がほぼすべて水没している写真や、多くの死者が出た鵜住居の防災センターの罹災直後の写真は、本書がはじめて掲載したと思う(p.13とp.16)*2

本書のさらなる概説については、出版元の各ページを参照のこと。

補足説明

本書を読むためには、釜石市内のおおまかな地理を知らねばならない。「尾崎神社」や「幸楼」、「せいてつ記念病院」といった名称が註釈もなく出てくる(p.26 と p.28)。釜石市内の地理に明るくない方は、Google map などを用いながら読み進めるべきだろう。
鈴子氏が見た釜石市内の被害の様子は、釜石市内から情報を発信し続けてきたカッキーさんのブログ「釜石大好き お酒大好き 海が大好きスキーが大好き」の過去のエントリーで紹介されている。具体的には、皆さん心配おかけしました。カッキーは元気です。たくさんのコメントありがとうございます。 - 釜石大好き お酒大好き 海が大好きスキーが大好き - Yahoo!ブログ以後のエントリーを参照すること。
本書中の津波の脅威をよりよく理解するには、発災当日の釜石市内の動画を見ればよいだろう。「……〔大渡町において〕甲子川を見ると、ものすごい勢いで〔波が〕逆流してくる」(p.8)様は、釜石港の目前から撮影された以下の動画を見ることで想像できるだろう。21:38以後に映る川が甲子川なのだが、誰が見ても分かるとおり、海水が速く逆流している。

引き波のすごさに関しては(p.9)、上記の動画の後半部分と、釜石海上保安部によって撮影された動画がわかりやすいと思う。

ところで、水害に関するボランティア向けの簡易なマニュアルを鈴子氏は作者不明の物として紹介しているが(p.105)、それは「レスキューストックヤード」と「日本財団」が発行した「水害ボランティア作業マニュアル」である。レスキューストックヤードからPDFをダウンロードできる。

ここで、不適切な内容を二カ所指摘しておく。第一に写真の説明についてである。釜石港の湾港防波堤の写真のキャプションに「『万里の長城』とも称された世界一の防潮堤」(p.89)とあるが、この説明は宮古市田老町の防潮堤についてなされてきた。釜石港湾事務所|防災設備・保安情報 | 宮古市田老地区(旧田老町)防潮堤 〜万里の長城〜を参照のこと。釜石市の湾港防波堤は「万里の長城」とは呼ばれてこなかったと思う。
第二に写真の撮影日についてである。p.11からp.22までの写真すべて、2010年に撮影されたものとして記述されている。言うまでも無いことだが、掲載されている写真はすべて2011年に撮影されたものだ。デジタルカメラによって写真が撮影されたとすると、撮影情報(Exif)の設定がただしくないのだろう。

特筆すべき点

特筆すべき点として三つ取り上げよう。第一に、複数の知人の話を引き、釜石市内で窃盗が横行していたと記録していることだ(p.72--73)。3月23日の岩手県警によると、3月11日から22日までに「大船渡、釜石、宮古の3署管内で窃盗13件」の届け出があった*3。被災地内部での伝聞と公的な記録に差が出ている、と見てよいだろう。
第二に、防災釜石広報の不適当な放送内容について言及していることだ(p.81)。その一例として、「ガンバリマショウ」という市長の演説だけ放送していた日がある、と鈴子氏は記録している。これは非常に興味深い。私が聞いたところでは、発災当日の夕方に釜石市外から釜石市内へと入ったものの、釜石駅付近まで行かなかった人の中には、釜石市に津波が来襲したことを数日間知らなかった人がいるらしい。津波の被害を受けた人向けの広報はもちろんのこと、津波の被害を受けていない住民に対しても、津波の被害について周知するような広報を整えてはどうだろうか。そうすることで、津波の被害を受けていない地域(各町内会といってよいかもしれない)から被災者へと、食事をはじめとする物資を素早く提供できただろう。
第三に、釣りに関係する道具をうまく利用し震災を乗り切ったと随所で説明していることだ。たとえば鈴子氏はこう述べている。「電気は消えても釣り用のランタンやヘッドライトがあったし、ローソクもあった。釣りのために用意していた車用バッテリーもふたつあり、これを使い、廃車のルームランプをリサイクルして、すばらしい照明器具を作った。」(p. 36)鈴子氏は、災害時に有益な物を日頃から有しており、その強みを見事に活用したのだといえるだろう。

おわりに

本書について一部の点を補足するなどして取り上げてきた。釜石市のことを知らない防災関係者が本書を読むならば、このエントリーを参考にしてはいかがだろうか。
本書について取り上げなかったことはいくつもある。自衛隊による迅速な啓開、「ボランティアという名の神さまたち」(p.103)で示されているボランティアに対する感謝の念、薪ストーブや反射式石油ストーブの有り難さといったものだ。これらについては実際に本書を読んでみてほしい。