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blechmusikの日記

キー・カスタマイズ・ソフトウェア "DvorakJ" の覚え書きをはじめとして様々なことを書いています。

gicchonさんへの簡単なお返事――ワグネらの論文について――

はじめに

先日の「キーボード配列の評価の考慮要素」*1というエントリーに、gicchonさんがコメントをくださりました*2。gicchonさんのコメントには、ワグネらの論文をどのように受け止めるべきかを考えることを要求する、重要な指摘があります。ここではgicchonさんへのお返事という体裁をとりながら、ワグネらの論文をまた簡単に紐解いてみます。

ワグネらの研究の位置づけ

2008年のMalasらの研究*3では、ワグネらの論文の特徴として次の二点を挙げています*4

  • 蟻コロニー最適化*5アルゴリズムによる鍵盤配列の生成
  • 鍵盤配列の生成にあたり、人間工学を考慮したこと

前者については、この日記ではそれほど言及してきませんでした。鍵盤配列の生成につき、日本での鍵盤配列の生成にあたり使用されてきた*6遺伝アルゴリズムではなく、蟻コロニー最適化アルゴリズムを使用していることは、注目すべきことでしょう。
次に、Deshwal and Debの研究*7で、ワグネらの論文がどのように位置づけられているのかを見てみましょうか。「キーボードの最適」(Optimality of Keyboards)という項目ではつぎのとおり説明されています。

キーボードの最適についての、ある具体的な定義付けは、〔文献〕[7]により提示されている。
("A concrete definition of the optimality of a keyboard is provided by [7]")

もちろん、ここでいう〔文献〕[7]とはワグネらの論文のことです。
このように、ワグネらの研究は、人間工学の検討要素についての数式モデルを提示したという点において、鍵盤配列の研究にあたっては参照されるべきものとして位置づけられていることがわかります。
以下では、gicchonさんのコメントを見出しに使用して、検討してみます。

「段毎の理想的な負荷の配分の割合を設定していること」

これは、Deshwal and Debの研究において「通常のキーボード」("Normal Keyboards")と呼ばれているものです*8。一方、携帯電話のキーボードのようなものは、「多義的キーボード」("Ambiguous Keyboards")と呼ばれています*9。ワグネらの研究は前者を対象としたものです。
これにつき、gicchonさんは次のようにおっしゃっています。

親指シフトにすれば各キーに3通りの文字をアサインできるようになりますが、これはWagnerにしてみれば「掟破り」なんでしょう。

ワグネらはフランス語やドイツ語の鍵盤配列を研究しています。これは、当然のことですが、彼らはAlt Grキー*10の使用を前提としているということでもあります。ワグネらが生成した鍵盤配列においては、一つのキーに3つの文字が割り当てられています。一例を出すと、単打ではlを出力するキーで、Shiftキーと組み合わせることによりLを、Alt Grキーと組み合わせることにより£をそれぞれ出力できます*11
ですから、ワグネらにしてみれば、掟破りではなくて、必要なことといえるでしょう。

「統合指標」について

Deshwal and Debの研究において、「総合的等級」("Rverall Grade")の項目では*12、ワグネらの研究から考慮要素間の「相対的重要さ」("Relative Weights")を引いてきていると説明があります。当該表の数値は、ワグネらの研究で提示されている数値と同一です。そうそう、前のエントリーでは「負荷係数(Weight coefficients)γ」と書きました。うーん、寝ぼけていたんですかね。誤訳です。きちんと訳すならば、重要さの係数、といったものでしょう。申し訳ございません。
gicchonさんはつぎのようにおっしゃっています。

ただ、その数値は有効数字がほとんど1桁で、実証的な数字というよりは何らかの想定にもとづく数値なのかなと私は思いました。

これについて、ワグネらはつぎのように説明しています。

The Value of weights γj...have been obatined after a working session with tow ergonomists and with help of a decision-making method for weighting in a group.

下付き文字をはてなの日記で出力する方法がわかりませんので、γjと書きました。実際には、jが下付き文字になっています。
肝心要の指標なのですから、できればこの部分の思考過程を詳述してほしいものです。おそらく、論文の投稿の字数制限のために記載していないのでしょう。これ以上のことは、ワグネらの論文を読んでもわかりません。
gicchonさんは、日本語用の鍵盤配列について、つぎのようにおっしゃっています。

日本語の入力、その中でも文字配列の作成に関してトップダウン的手法(何らかの目的関数を設定してシミュレーションによりそれを最適化するという方法)をかなり使ったと思うのは親指シフトと新JISなのだと思います。これらの作成過程に関する詳しい情報があまりないのが残念です。

大手はそうなんです。まあ、ワグネらが提示した数式化まで要求するのは酷かもしれませんけれど。
そういえば、1986年は新JIS配列が考案された年ですよね*13。新JIS配列については次のように指摘されています*14

「英文タイピスト2名」と「素人14人」を並べて打鍵評価させ……

一方、ワグネらの論文では、1976年と1987年のMarsanの研究における実験について次のように説明しています*15

  • 30人よりも多い人が被験者
  • その被験者は「タイピストであるが、当初は初心者」("typists, initially beginners...")
  • 被験者を2グループに分割
  • 一つのグループはMarsanによるフランス語用の配列を、もう一つのグループはAZERTY配列を使用する(要は対照実験)

ここで一つの疑問を抱きました。親指シフトや新JIS配列って、QWERTY配列との対照実験をしたのでしょうか。私が知らないだけかもしれませんけれど。

薬指と小指の負荷の分配

Deshwal and Debの研究とワグネらの研究では、薬指と小指の負荷の分配率に違いがあります。まず把握しておくべきことは、前提となる一段あたりのキーの数が異なることです。Deshwal and Debの研究では、小指が3つのキーを担当します。一方、ワグネらの研究では、小指が4つのキーを担当します。
ワグネらの研究では、薬指と小指への負荷の分配は、ともに17.95%です。一方、Deshwal and Debの研究では、薬指への負荷の分配は18.27%であり、小指への負荷の分配は16.35%です。
なぜDeshwal and Debの研究では薬指と小指の負荷の分配を同一としなかったかは説明されていません。もしかしたら、薬指と小指の負荷の分配につき、Deshwal and Debの研究は、ワグネらの研究に批判的なのかもしれません。具体的な批判が展開されていないため、よくわかりません。

おわりに

ごく簡単にですが、上記の説明をgicchonさんへのお返事とします。思うに、ワグネらにはDeshwal and Debの研究の内容が伝わっていることでしょう。ワグネらがより厳密な数式や数値を提示するときを楽しみにまつこととしましょう。

追記

誤字を修正しました。

*1:http://d.hatena.ne.jp/blechmusik2/20090401#1238513115

*2:http://d.hatena.ne.jp/blechmusik2/20090401#c1238814240

*3:Malas, Tareq M.; Taifour, Sinan S.; Abandah, Gheith A. (2008), “Toward Optimal Arabic Keyboard Layout Using Genetic Algorithym”, in Proc. 9th Int’l Middle Eastern Multiconference on Simulation and Modeling (MESM 2008), Aug 26-28, Amman, Jordan, http://www.abandah.com/gheith/MESM2008.pdf

*4:pdfの2ページ目左の列の"Related Work"より。

*5:"蟻コロニー最適化 - Wikipedia" < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%9C%80%E9%81%A9%E5%8C%96 >

*6:遺伝的アルゴリズムで求めた口語に適した中指シフトかな配列○配列」< http://www.geocities.jp/rage2050a/GeneKana/_ReadMe.html >

*7:Deshwal, P. S.; Deb, K. (2003), “Design of an Optimal Hindi Keyboard for Convenient and Efficient Use”, KanGAL Report Number 2003004, < http://www.iitk.ac.in/kangal/papers/k2003004.pdf >

*8:1ページ目右の列。

*9:1ページ目右の列。

*10:"AltGr キー - Word - Microsoft Office Online" < http://office.microsoft.com/ja-jp/word/HP052590631041.aspx >

*11:"Figure 8. The final ECP arrangement for the French language, assessed in comparison with the initial ECP arrangement"より。

*12:見出しは"4.3.7"。

*13:"新JIS配列 - Wikipedia" < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0JIS%E9%85%8D%E5%88%97 >

*14:"「カナタイピストにおける指の運動特性について」と「カナタイピストにおける指の運動特性について(続報)」を見ていて気づいた、当たり前だけど注意すべきことについて。 - 雑記/えもじならべあそび(相沢かえでの無変換な水木土日記)" < http://d.hatena.ne.jp/maple_magician/20060411/1144681573 >ただし、出典がどの論文なのかはわかりません。

*15:194ページ。もっとも、どちらの年の研究でもこのような実験が行われたのか、それともどちらかの年でのみこのような実験が行われたのかは、ワグネらの論文を読む限りはわかりません。Marsanの特許を参照すればすぐにわかることでしょう。