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blechmusikの日記

キー・カスタマイズ・ソフトウェア "DvorakJ" の覚え書きをはじめとして様々なことを書いています。

2017年になりました(その2)

雑記

2017年になりました(その1) - blechmusikの日記 の続きです。

伝えられた想い

 とあるきっかけによって年末に映画をいくつか見た。そのうち特に印象深かった映画が「君の名は。」と「この世界の片隅に」だったので、私見を書き残しておこう。ネタばれもあるのでご注意を。

君の名は。

 まず、「君の名は。」は、糸森町の田舎らしさとでもいえばよいだろうか、町内の行政から人々の暮らしまで映画の中で描かれている町の様子を苦々しく見ていた。コンビニが夜9時で閉店するというのは田舎らしいことだな、と感じた人も多数いるだろう(実際に私が映画館でこの映画を見た際に、クスクスと笑いが起きた)。コンビニを夜9時で閉店しなければならないのは、採算に見合うほど客が訪れないことの現れであるし、またそうしたコンビニが一応存在するということは、本来ならばサービス面で競合するはずの(つまりコンビニ出店に猛反発する)個人商店が周りにない(つまりすでに閉店した)、いわばそこまで寂れてしまった地域だということをうかがわせる。
 そして、こうした寂れゆく町で行政が土建業者と緊密に連携することになるのは、ある意味仕方がないだろう(ちなみに、この連携の背景に、三葉の母・二葉に関する父・俊樹の忸怩たる思いがあることは、映画を見た人なら容易に察することができよう)。
 これらのシーンを田舎らしさを誇張した描写と受け止めるか、それとも田舎で暮らす人々(とりわけ若者)の辛さがにじみ出ている描写ととらえるかは、人によって大きく異なると思う。


 さて、「君の名は。」は引っ込み思案な三葉の成長物語だ。三葉は先祖(宮水家)から謎の能力と、彗星に関係している舞や彗星が描かれたご神体の伝承などを継承した。念のため補足しておくと、三葉は、糸森町で代々聖なる世界に属してきた宮水家の血筋と、(二葉の死をきっかけに)町内で俗(政治や行政)の権力を握った父をもつことで、聖俗の両方の力に頼ることができるようになっている。そして、瀧からは(謎の能力経由ではあるが)都会の煌めきに接するチャンスを、そしていざというときに(三葉に毒突くことを止めなかった同級生も含め)人々を救う気骨、やり直しの機会、そして慕情をもらった。もっとも、これらはあくまでも三葉に与えられたものであって、それをどう生かすかは三葉次第である。それが生かされるまで、言い換えると三葉が心を入れ替えてそれを生かすようになる過程を描いたのがこの映画だ。
 三葉は人々を救う気概と機会を祖先と異性から伝えられ、それらをしっかりと受け止めて行動し、結果として見事に大団円を迎えた。見事でしょう。
 このように内容がうまくまとめられている映画で*1、心が揺れ動くときの描写はとりわけ美しい。細部を大画面で堪能できてよかったと、映画鑑賞中に何度も思いました。

この世界の片隅に

 都心の映画館で「この世界の片隅に」を鑑賞した際(12月下旬)に気づいたのは、観客の半数が40代以上と思われること(10代の観客は皆無だった)と、映画上映終了時点で約3-4割の人が啜り泣きをしているように聞こえたことだ。「君の名は。」の鑑賞後に「この世界の片隅に」を鑑賞したので、アニメ映画といっても観客層や上映後に余韻にひたる様子がここまで違うものかと驚いた。

 コミックが原作の映画「この世界の片隅に」は、やはり引っ込み思案なすずの成長物語だ。原作にあったすずと遊郭で働くリンとの交誼(そして夫・周作とリンとの関係も)が大胆にカットされたことで、すずが嫁ぎ先での生活を通じ、懊悩を表面に出して周囲の人に救いを求められるようになり、ついには戦災孤児を救えるようになるまでが分かりやすく描かれている。戦災孤児を育てることになるシーンからは、当時子供を産めなかったすずの心的な負担を緩和したであろうことや、あの時晴美さんを繋いでいた手が右手ではなく左手だったら……と苦しみ続けていたすずに、子供の手を左手で繋いだことで子供の命を守り通した見ず知らずの母親の想いが伝わったことがうかがえる。激動する生活環境の中で自分がどのように生きていくべきかを考えていくすずさんの姿は美しい。
 すずは祖先や異性から責任感を負わせられることはなく、もがき苦しみながら生き方を模索していく。すずのその様子から、すずには生きられなかった人々・この先長くは生きられない人々(妹のすみもその一人)の生の願いが確実に伝わっている、と多くの観客は読み解くかもしれない。
 全国拡大上映中! 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイトの劇場情報によれば、今月に入ってから上映を開始する映画館が多数ある。すず(CV のん=能年玲奈)の「ありゃー」を聞いて(そして豊かな表情を見て)朗らかな気持ちになりながら、すずの世界観を味わってみてはどうだろうか。
 なお、映画のエンドロールでクラウドファンディングの支援者リストが画面の上部に掲載され、その下部ではリンの生涯が展開される。初見の人は後者を見過ごすかもしれないので、気をつけて欲しい(私が映画を鑑賞した時には、クラウドファンディングの支援者リストが表示されるとすぐに退席した観客が数名いた)。
 ちなみに、監督のこの映画製作への情熱はウェブ連載記事に表れている。例えば市井の人の様子から山や橋、建物などを緻密に再現するために、監督がどれほど真剣に調査活動に取り組んできたかが容易にわかる(一通り目を通すために私は映画本編上映時間の数倍もの時間を費やしてしまったが、映画の各シーンで描き出された物事をよく理解できたので、満足している)。


 ところで、この作品に触れて「建物疎開」という言葉を初めて知った。その後、建物疎開学童疎開や集団疎開の企画・立案者が同一人物であること、その人物とは第二次世界大戦下のポーランド駐在武官として空襲を実際に体験し、そして後に対ソのスパイマスターとなり、また陸軍中野学校で幹事(教頭)を務めた上田氏らしい。市民への爆撃の有様をいち早く体験し、その悲惨さを実感した上田氏だからこそ、人的被害を少しでも防ぐために一連の疎開施策を推し進めたということだ。

 上田氏の想いを知ったうえで、「この世界の片隅に」で描かれた疎開に伴う問題をどう捉えるかは、受け手次第だ。

今年の抱負について

 私が他の人を救う機会なんてまったく想像できないのですが、助力できることはしたいものですね。
 そして、充実した生活を送ることを心掛けたいものです。では充実した生活を送るとはどういうことかというと答えに窮してしまいますが……何事についても見聞を広めて見識を深め、誰かにそっと手を差し伸べられるようになる、言い換えると自分が理解した何かしらをしっかりと伝えられるようになる、ということでしょう。

*1:映画本編のストーリーの補足はもうひとつの『君の名は。』がここに。|新海誠の本|株式会社KADOKAWA)に委ねられているようだ。